鬼嫁日記〜2ch生活まとめ〜

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keiouniv3
184: 名無しさん@おーぷん 2017/11/15(水)08:41:06 ID:WK6
大学の友達が電子辞書を忘れて家まで届けに行った。通学路の途中だったからね。そしたら、園芸しているおじさんがいたからお父さんだと思って「◯◯ちゃん、携帯忘れてましたよ。」と話しかけた。

「ああ、ありがとうね。今、◯◯はバイトなんだ。あ、そうだ。僕の田舎からりんごが届いたんだ。持ってってよ。」とりんごをもたせてくれたんだけど、奇妙なことに気付いた。

友達のお父さんは沖縄出身のはず。(お土産もらったから知ってた)そこで「沖縄でも育つんですか?」と聞いてみた。
「ああ、僕ね、お父さんじゃないの。◯◯の高校の先生。」

はぁ?と思ったが、りんごのお礼を言って帰宅した。
次の日聞いてみると、「誰にも言わないでね。」と言いながら
話してくれた内容が衝撃&神経分からんかった。

友達は高校時代、うちの大学(亡くなったお母さんの母校)を狙えるレベルじゃなくて浪人するか諦めろと言われていたらしい。だけど、先生の指導のおかげで成績が急上昇して見事合格。

卒業後、お父さんと先生が飲み屋で偶然一緒になって飲んで、
それからたまに飲んだり釣りに行く関係になったらしい。
酔いつぶれた時に泊めてあげてそのままいつかれたらしい。

先生は奥さんと不仲で土日は家にいると奥さんが嫌がるから毎週手ぶらで泊まりに来るらしい。小学生の弟がかなり嫌がってるからやめてほしいと。

おまけに卒論の発表会や卒業式にも先生が来ていた。
就活も「お前は営業向きじゃないから事務員にしろ」とか
うるさくて弟の受験にも口を出して来たらしい。

小学生の弟は1人部屋があったのに先生に部屋を盗られて、
友達と同じ部屋だったとも聞いた。よく聞くとエロ本やテレビゲームも置いてあったらしい。友達は卒業後、弟を連れて家を出た。

そしたら先生も家にも帰らなくなって、おまけに誰も家事をしないから大変で、うちの会社に友達を説得してと電話がかかってきた。会社のHPに私の名前が載ってたからなんだけど、私の父親を名乗ってたのもムカつく。

だいたい、一番の元凶は若い女の子がいる家におっさんを引き入れたお父さんだろうな。なんか2人とも神経分からん。

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anzai
282: 名無しさん@おーぷん 2016/07/19(火)01:27:21 ID:ZSz
子どものころの衝撃体験。
フェイクありだし、記憶がおぼろげなところもあるので変だったらごめんなさい。

小学生のとき、すごく優しい生徒指導の先生がいた。
何か悪いことをした子がいたら、叱るんじゃなくて諭す。
私が特に覚えているのが、音楽室の黒板が落書きでめちゃめちゃに荒らされた時のこと。
掃除当番だった私たちがそれを見つけて先生に連絡。
子どもの数も多いし犯人なんか分からなかったんだけど、その先生は黒板の隅に
「誰でしょう。君たちはとても良い子たちです。それなのに、とても嫌な言葉を黒板に落書きして。」
「良いことではありませんよね。悪いことをすると誰かが悲しみます。今、先生はとても悲しい気持ちです。」
みたいな事を書いてくれた。すごくきれいな字の縦書き。
それ以来落書きはなくなって嬉しかった。
いつも穏やかに微笑んでいて、皆その先生のこと好きっていう印象。
もちろん怒る時もあったんだけどね。

でもある日、その先生が学校に来なくなった。
不思議に思っている内に親が学校に集められたり、テレビに校長先生が出てたり。
すごく学校中があわただしくなったことを覚えている。
まあ、早い話、先生が逮捕されていた。
しかも罪状が恐喝だった。
当時は恐喝なんて言葉よく分かってなかったけど、母に「怖い言葉で脅すことだよ」と言われて心底たまげた。
え、生活指導の先生だよね?嫌な言葉で黒板が荒らされた時、なんとかしてくれた先生だよね?みたいな。
おまけに、これはもうちょっと年齢が上がってから教えてもらったけど、余罪に性的なものもあるというあわせ技。

あのすごく優しそうな先生が…って思い出すとあの黒板の優しい字も思い出されて、すごく複雑な気持ちになる。
「何でそんな事を」とか「先生なのに」とか「あの言葉は嘘なのか」とか。
人って言うのは見た目では分からないし、裏で何考えて何やってるか心底分からない、得体の知れないものなんだって学んだ体験。
ふと思い出して、何か怖くなって吐き出してみた。
長文乱文ですみません。

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36: 名無しさん@おーぷん 2017/09/28(木)00:40:13 ID:HRr
学校の先生は性格がおかしい人が多いと言われるが、自分の母を見ていると真実だと思う。

今は退職して何十年も経ったが、昔、母は小学校教師だった。母は私や兄に「教師は女の仕事としては最高の仕事だ」といつも言っていた。
その「最高の仕事をしている自分」にものすごいプライドを持っていた。ある時、その最高話にウンザリした兄が「女性のお医者さんや
弁護士や大学教授もいるよ」と言ったら、母は「それは例外でそんな人はあまり居ない、普通の仕事では最高なんだ」と怒鳴った。
兄が「普通は普通で、最高とは違う物だ」と言った瞬間、兄は母に殴られていた。目が吊り上がって顔が真っ赤な母に「お前もそう思うか?」と
聞かれた私は兄を裏切るわけもいかないけれど、殴られたくないのでどうしてよいか分からず即答できなかった。再度「お前はどう思うんだ!」と
怒鳴られ、パニックになった私は「普通は最高だと思う」と答えてしまい「馬鹿」と言われ、母に殴られそうになった。その瞬間、兄が「今の事を
赤の他人に言って聞かせてもいい?」「最高話を人に言いふらすよ」と言ってくれたので母に殴られずに済んだ。母は「お前たちは世の中の事を
分かっていない」などとブツブツ言いながら部屋を出て行った。家に父親は居たが、全くの空気だった。何を言っても相談しても「母さんの言う
通りにしなさい」「母さんを怒らせたら駄目だよ」と言うだけだった。

後年、兄は大学を卒業し就職して家を出た。母が望む超難関大学に行かなかった兄を母は絶対に許さなかった。「○○大学に行くのに東京に行くのなら
まだしも、就職のために東京に行くのは許さない」と母は怒っていた。給料が出るまでの間、兄がお金に困ると思った私はお年玉や小遣いを貯めていた
のを兄に渡した。兄は「ありがとう」と言ったけれど、お金を受取らなかった。それでもと言う私と押し問答になって兄は「じゃ」と言ってその中から
1000円だけ持って行った。兄はその千円札を今も持っているらしい。

高齢となった母は今もプライドの塊で、内心、すべての人を見下している。自分が知らない事は、世間でもあまり認められていない事だと信じ込んでいる。
だから、インターネットとはロクでもないもので、そんなものはすぐに廃ると思い込んでいる。
現在、私は母とは完全な絶縁はしていない。完全な音信不通にすると半狂乱になって故郷の友人の実家に押しかけたことがあったから連絡先は教えている。
「東京なんてロクでもない」場所だから母は私の家には来ない。いろいろ準備をして疎遠にしていくつもりだ。
兄はインフラエンジニアをやっているが母曰く「ロクでもない仕事」だから兄とはほぼ絶縁状態となっている。

そんな母だが、母が担任していたクラスの同窓会が開かれる度に、母は「恩師」として何回も呼ばれている。故郷の人に聞くと、母は温厚で理解のあるとても良い先生
だったらしい。「私と兄の話は誰も信じないだろうな」と思い、母が以前「お前たちは世の中の事を分かっていない」と言った事を思い出した時がスレタイ。

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station_school


83: 1/2 2012/08/15(水) 20:34:16.14 P
ふと思い出した、子供の頃の修羅場。長杉と怒られたので分割。

小学3年生の頃、ある朝起きたらなんとなく息苦しさがあった。
親に話したら、「熱もないし、とりあえず学校行ってみようか。もしもっと具合悪くなっちゃったら先生に言って
保健室で休ませてもらうか帰らせてもらうかしてね。連絡くれれば迎えに行くから」と言われたのでそのまま学校へ。
登校中、どんどん息苦しさが激しくなってきて、学校に着いた頃には喉の奥から変な音がしてきた。
更には胸の真ん中あたりに激痛が走り、声を出すのすらかなりの苦痛になってきて、すぐ保健室に行ったけど
熱がまったくなかったからと休ませてもらえず、担任に相談しても仮病扱いされた。
担任に無理矢理腕引っ張られて席に着かされたけど、クラスメイトの目から見ても明らかに顔色も呼吸音もやばかったらしく
「せんせー、〇〇さん(私)が具合悪そうです!」「保健室連れてっていいですか?」と口々に言ってくれてたのに、担任は
「どうせ仮病だからほっとけ!」「そんなに授業が嫌なのか!」と怒って、ビンタかまして(私にです)そのまま授業続行しようとした。

そうしてる間に、うちのクラスが騒がしいからと様子を見に来てくれた教頭先生が、私を見てものすごく驚いたようで
「どうしたの、顔色悪いよ!具合悪いの?××先生(担任)、なんでこの子保健室に連れて行かないんですか!」と言ってくれたけど
担任は「授業が嫌だからって仮病使ってるんです!放っておいてください!」と頑な。
教頭先生は激怒して「仮病でこんな顔色できるわけないでしょうが!」と担任を怒鳴りつけ、私に向き直ってから
「大丈夫?歩ける?一緒に保健室行こうね」と優しく言ってくれて、保健室に連れていってくれたものの、やはり熱がないからと養護教諭まで仮病扱い。
教頭先生また激怒、その足でまっすぐ駐車場に行って、私を車に乗せてすぐ近くにある学校医がやってる病院まで送ってくれた。
が、そこでも「全然なんともないですよ。仮病じゃないですか?これぐらいの子供にはよくありますからね~」と。
「もういいです!別の病院に行きますから!」と教頭先生またまた激怒して別の病院に連れて行ってくれた。

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36: 名無しさん@おーぷん 2017/09/28(木)00:40:13 ID:HRr
学校の先生は性格がおかしい人が多いと言われるが、自分の母を見ていると真実だと思う。

今は退職して何十年も経ったが、昔、母は小学校教師だった。母は私や兄に「教師は女の仕事としては最高の仕事だ」といつも言っていた。
その「最高の仕事をしている自分」にものすごいプライドを持っていた。ある時、その最高話にウンザリした兄が「女性のお医者さんや
弁護士や大学教授もいるよ」と言ったら、母は「それは例外でそんな人はあまり居ない、普通の仕事では最高なんだ」と怒鳴った。
兄が「普通は普通で、最高とは違う物だ」と言った瞬間、兄は母に殴られていた。目が吊り上がって顔が真っ赤な母に「お前もそう思うか?」と
聞かれた私は兄を裏切るわけもいかないけれど、殴られたくないのでどうしてよいか分からず即答できなかった。再度「お前はどう思うんだ!」と
怒鳴られ、パニックになった私は「普通は最高だと思う」と答えてしまい「馬鹿」と言われ、母に殴られそうになった。その瞬間、兄が「今の事を
赤の他人に言って聞かせてもいい?」「最高話を人に言いふらすよ」と言ってくれたので母に殴られずに済んだ。母は「お前たちは世の中の事を
分かっていない」などとブツブツ言いながら部屋を出て行った。家に父親は居たが、全くの空気だった。何を言っても相談しても「母さんの言う
通りにしなさい」「母さんを怒らせたら駄目だよ」と言うだけだった。

後年、兄は大学を卒業し就職して家を出た。母が望む超難関大学に行かなかった兄を母は絶対に許さなかった。「○○大学に行くのに東京に行くのなら
まだしも、就職のために東京に行くのは許さない」と母は怒っていた。給料が出るまでの間、兄がお金に困ると思った私はお年玉や小遣いを貯めていた
のを兄に渡した。兄は「ありがとう」と言ったけれど、お金を受取らなかった。それでもと言う私と押し問答になって兄は「じゃ」と言ってその中から
1000円だけ持って行った。兄はその千円札を今も持っているらしい。

高齢となった母は今もプライドの塊で、内心、すべての人を見下している。自分が知らない事は、世間でもあまり認められていない事だと信じ込んでいる。
だから、インターネットとはロクでもないもので、そんなものはすぐに廃ると思い込んでいる。
現在、私は母とは完全な絶縁はしていない。完全な音信不通にすると半狂乱になって故郷の友人の実家に押しかけたことがあったから連絡先は教えている。
「東京なんてロクでもない」場所だから母は私の家には来ない。いろいろ準備をして疎遠にしていくつもりだ。
兄はインフラエンジニアをやっているが母曰く「ロクでもない仕事」だから兄とはほぼ絶縁状態となっている。

そんな母だが、母が担任していたクラスの同窓会が開かれる度に、母は「恩師」として何回も呼ばれている。故郷の人に聞くと、母は温厚で理解のあるとても良い先生
だったらしい。「私と兄の話は誰も信じないだろうな」と思い、母が以前「お前たちは世の中の事を分かっていない」と言った事を思い出した時がスレタイ。

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