鬼嫁日記〜2ch生活まとめ〜

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83: 1/2 2012/08/15(水) 20:34:16.14 P
ふと思い出した、子供の頃の修羅場。長杉と怒られたので分割。

小学3年生の頃、ある朝起きたらなんとなく息苦しさがあった。
親に話したら、「熱もないし、とりあえず学校行ってみようか。もしもっと具合悪くなっちゃったら先生に言って
保健室で休ませてもらうか帰らせてもらうかしてね。連絡くれれば迎えに行くから」と言われたのでそのまま学校へ。
登校中、どんどん息苦しさが激しくなってきて、学校に着いた頃には喉の奥から変な音がしてきた。
更には胸の真ん中あたりに激痛が走り、声を出すのすらかなりの苦痛になってきて、すぐ保健室に行ったけど
熱がまったくなかったからと休ませてもらえず、担任に相談しても仮病扱いされた。
担任に無理矢理腕引っ張られて席に着かされたけど、クラスメイトの目から見ても明らかに顔色も呼吸音もやばかったらしく
「せんせー、〇〇さん(私)が具合悪そうです!」「保健室連れてっていいですか?」と口々に言ってくれてたのに、担任は
「どうせ仮病だからほっとけ!」「そんなに授業が嫌なのか!」と怒って、ビンタかまして(私にです)そのまま授業続行しようとした。

そうしてる間に、うちのクラスが騒がしいからと様子を見に来てくれた教頭先生が、私を見てものすごく驚いたようで
「どうしたの、顔色悪いよ!具合悪いの?××先生(担任)、なんでこの子保健室に連れて行かないんですか!」と言ってくれたけど
担任は「授業が嫌だからって仮病使ってるんです!放っておいてください!」と頑な。
教頭先生は激怒して「仮病でこんな顔色できるわけないでしょうが!」と担任を怒鳴りつけ、私に向き直ってから
「大丈夫?歩ける?一緒に保健室行こうね」と優しく言ってくれて、保健室に連れていってくれたものの、やはり熱がないからと養護教諭まで仮病扱い。
教頭先生また激怒、その足でまっすぐ駐車場に行って、私を車に乗せてすぐ近くにある学校医がやってる病院まで送ってくれた。
が、そこでも「全然なんともないですよ。仮病じゃないですか?これぐらいの子供にはよくありますからね~」と。
「もういいです!別の病院に行きますから!」と教頭先生またまた激怒して別の病院に連れて行ってくれた。

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36: 名無しさん@おーぷん 2017/09/28(木)00:40:13 ID:HRr
学校の先生は性格がおかしい人が多いと言われるが、自分の母を見ていると真実だと思う。

今は退職して何十年も経ったが、昔、母は小学校教師だった。母は私や兄に「教師は女の仕事としては最高の仕事だ」といつも言っていた。
その「最高の仕事をしている自分」にものすごいプライドを持っていた。ある時、その最高話にウンザリした兄が「女性のお医者さんや
弁護士や大学教授もいるよ」と言ったら、母は「それは例外でそんな人はあまり居ない、普通の仕事では最高なんだ」と怒鳴った。
兄が「普通は普通で、最高とは違う物だ」と言った瞬間、兄は母に殴られていた。目が吊り上がって顔が真っ赤な母に「お前もそう思うか?」と
聞かれた私は兄を裏切るわけもいかないけれど、殴られたくないのでどうしてよいか分からず即答できなかった。再度「お前はどう思うんだ!」と
怒鳴られ、パニックになった私は「普通は最高だと思う」と答えてしまい「馬鹿」と言われ、母に殴られそうになった。その瞬間、兄が「今の事を
赤の他人に言って聞かせてもいい?」「最高話を人に言いふらすよ」と言ってくれたので母に殴られずに済んだ。母は「お前たちは世の中の事を
分かっていない」などとブツブツ言いながら部屋を出て行った。家に父親は居たが、全くの空気だった。何を言っても相談しても「母さんの言う
通りにしなさい」「母さんを怒らせたら駄目だよ」と言うだけだった。

後年、兄は大学を卒業し就職して家を出た。母が望む超難関大学に行かなかった兄を母は絶対に許さなかった。「○○大学に行くのに東京に行くのなら
まだしも、就職のために東京に行くのは許さない」と母は怒っていた。給料が出るまでの間、兄がお金に困ると思った私はお年玉や小遣いを貯めていた
のを兄に渡した。兄は「ありがとう」と言ったけれど、お金を受取らなかった。それでもと言う私と押し問答になって兄は「じゃ」と言ってその中から
1000円だけ持って行った。兄はその千円札を今も持っているらしい。

高齢となった母は今もプライドの塊で、内心、すべての人を見下している。自分が知らない事は、世間でもあまり認められていない事だと信じ込んでいる。
だから、インターネットとはロクでもないもので、そんなものはすぐに廃ると思い込んでいる。
現在、私は母とは完全な絶縁はしていない。完全な音信不通にすると半狂乱になって故郷の友人の実家に押しかけたことがあったから連絡先は教えている。
「東京なんてロクでもない」場所だから母は私の家には来ない。いろいろ準備をして疎遠にしていくつもりだ。
兄はインフラエンジニアをやっているが母曰く「ロクでもない仕事」だから兄とはほぼ絶縁状態となっている。

そんな母だが、母が担任していたクラスの同窓会が開かれる度に、母は「恩師」として何回も呼ばれている。故郷の人に聞くと、母は温厚で理解のあるとても良い先生
だったらしい。「私と兄の話は誰も信じないだろうな」と思い、母が以前「お前たちは世の中の事を分かっていない」と言った事を思い出した時がスレタイ。

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573: 名無しさん@おーぷん 2017/03/31(金)12:33:36 ID:9UO
もう時効だろって思えるくらい昔の話です。30年以上前。
小4の時、担任の先生(男性、既婚40代)に告白されました。
当時「知らない人に付いていっちゃいけません」的な教育はすでにされていて
おかしな大人がいるという知識はありましたが
・担任の先生=おかしな大人のわけがない
・大人が子供に対し恋愛感情など持つわけがない
と思っていた私は、先生が冗談を言っているのだと思い「私も好きです~」くらいに軽く答えました。
数日後先生からドライブに誘われました。
しかし先生が指定してきた土曜日は習字の塾があったので「塾があるからダメです」と返答。
すると先生はキレ出し、
「塾なんかなんだ、お前は俺とのことを真剣に考えていないのか」
「そんなやつだと思わなかった」
と怒鳴り…。
怖くなった私はドライブに行くと返事し帰宅。
帰宅してから怖くなり、眠れず悩みました。
翌日先生に会うと手紙を渡されました。(当時はまだ携帯やスマホはなかった)
内容はもうさだかじゃないんですが、キスしたいと書いてあったことだけ覚えています。
さすがにキスという単語は知っていて「げっ」と思ったから。
「お腹が痛くなろう。そうすればドライブを断れる」と浅はかなことを考えた私は
帰宅して腹痛のふりを始めました。
しかし姉(当時中学生)にあっさり見破られ「仮病すんな!何?学校行きたくないの?」と聞かれて
「実は…」と先生の手紙を見せました。
姉から親に話がいって、てっきりすごく怒られると思ったのに
なぜか親は私を怒らず、先生に激怒。
当時モンペやクレーマーなんて見たことがなかった私は、先生の言動に親が怒るなんて有り得ないと思っていたので驚きました。
そこからどうなったのか詳細はわかりませんが、担任は三学期から来なくなって、
学年主任の先生が担任の変わりをするようになりました。
ロリコンという概念を知ったのは中2くらい。あれがそうか!と思いました。
しかし今思うに、ドライブ行かなくてよかった~…

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551: おさかなくわえた名無しさん 2015/03/05(木) 21:26:27.67 ID:Aja5UgB/
私の地元にはどうしようもないくらい荒れに荒れまくっていた中学校があって
生徒同士の暴力事件は日常茶飯で、喫煙や飲酒や、そこだけが平成ではないような空間。
そんな中学にある先生が赴任してきてからは、その先生が生徒達と真剣に向き合いどんどん更生していった。
たった1年でその中学から不良が消え先生はもうスター扱いで
生徒も保護者も近隣からも好かれ、誰も一人悪口なんて言わない。
だからその先生が生徒を強姦して捕まったニュースが流れた時のあの衝撃は、数年経った今でも忘れられない。

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179: おさかなくわえた名無しさん 2013/06/04(火) 18:52:24.59 ID:MHbbc8r6
学級崩壊を目の当たりにした事。

小学生の時、掃除の時間に先生の机の近くでふざけていた子達が
うっかり先生の机の引き出しを開けてしまった。
あわてて閉めようとするも目に入る、引き出しにぎっしり詰まった文房具。
あまりにもカラフルで「先生、大人なのに子供みたいな鉛筆持ってる!」
と誰かが言うと、そばにいた子達が覗き込んだ。
ほとんどの文房具に名前がついていて、その場にいた全員がなくしたはずの
鉛筆、定規、ハサミ、カッター、下敷き等がいっぱいあった。
名前は全部、クラスメートの物だった。

最初はみんな「先生は、拾ってくれて後で返そうと思って忘れてたんだよ」
とか言ってたけど、何となく不安で掃除のたびにみんなで先生の机を覗き込んでいた。
何日たっても返す気配がなく、それどころか先生は、気に入った子達に
「これ、名前が書いてあるけど使って良いよ!」とあげていた。
当然、持ち物を巡って生徒同士のケンカが増え、みんなが疑心暗鬼になった。
授業中に騒ぐ子が増え、欠席が増え、勉強に遅れる子が出てきた。
同時に先生のヒスが増し、席替えと匿名アンケートと学級会の嵐が吹き荒れるも
クラスの雰囲気は一向に改善せず、修了式は全員が逃げるように教室を去った。

席替えやアンケートで、クラスが荒れる原因を生徒に押し付ける先生に対する
反発もあって、当時が一番、精神的に辛かった子供時代だった。

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