鬼嫁日記〜2ch生活まとめ〜

タグ:人生

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361: おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2014/11/27(木) 01:26:12.00 ID:Ejhe7SJ9.net
小さな武勇伝だけど、今年の新入社員の天然くんがやってくれた。
彼は煙草も吸わないし、お酒はつきあいで口にする程度。
それが気に入らないらしい定年近いヤニ上司が、
「おまえな、いい年した男が煙草も酒もやらないで人生何が楽しいんだ?」
天然くんがびっくりした顔で
「え?○○さん煙草とお酒しか人生の楽しみがないんですか?
世の中いくらでも楽しいことあるのにお酒と煙草以外我慢するとか、
いや逆に器用っすよそれ!なんで他に何もしないんですか?
おもしろくないじゃないですかそんな人生!」
素で不思議がってヤニ上司を問いつめてるから、まわりが大爆笑だった。
ヤニ上司は真っ赤で「おまえは(もごもご聞き取れず)うるさい!うるさい!うるさい!」と
もごもごのあとにいきなりぶちきれて喫煙所に行ってしまったけど、
天然くんだけ笑われてるのも怒られたのも理解不能みたいで、( ゚д゚)ポカーンとしていた。
天然最強ってこういうことかw

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89: おさかなくわえた名無しさん 2013/09/19(木) 11:00:04.22 ID:4vaVVVlz
自分の人生を変えた体験
中学の時に両親が離婚して、母に引き取られた
離婚が原因というか、両親大好きだったから、離婚後めっちゃグレた
解答欄に名前を書けば入れるとまで言われるような底辺高校に進学し、喧嘩で停学くらったりしてた
ただ、警察のお世話になるようなことは一度もなかったのは、今でも救いになっている
将来は土方にでもなっかwwwみたいに軽ーく考えてた
高校三年になって、担任に呼び出されて、お前このままじゃ卒業できんぞって言われた
しかし、この高校には応じる人は少ないらしいがボランティア活動による温情措置があると言われた
めんどくさくなったらサボればいいやという気持ちでボランティアに参加した
ボランティア内容は、老人ホームでお年寄りの相手をする事だった
いざやってみると、これが楽しくて仕方がなかった
みんないい人なのよ
こんなお婆ちゃんの相手してくれてありがとうねと言われた時、涙が止まらなかった
俺、今まで何やってたんだろって後悔が一気に押し寄せてきた
オロオロするお爺ちゃんお婆ちゃんに、自分の反省を泣きながら語ってんの俺www
そのことに気付けたんだから、まだまだ取り返しは効く。頑張りなさいと言われまた泣いた
安直ではあるが、これが俺の天職なんだと思った
その日から、一切の喧嘩を辞めた
学校が終わったら、老人ホームに遊びにいくかアルバイトをして、夜は勉強するようになった
母も応援してくれるようになり、高校を卒業して介護福祉士になるために専門学校へ通った
介護福祉士の資格を取って、今でも毎日働いている
3K仕事ではあるけど、楽しいんだこれが
あの時、ボランティア活動しなかったら俺どうなってたんだろうかと今でも考えるよ

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419: おさかなくわえた名無しさん 2013/10/20(日) 05:58:09.51 ID:ZwOwWvLV
私も当事者だけど、甥(旦那の兄の子)の人生が修羅場
甥は、我が家に養子入りして既に息子だけど、紛らわしいので文中は甥で統一
あと、一部フェイク入れるので矛盾あったらすみません

うちに来るまでの甥の人生をダイジェストにすると、
母親(義兄嫁)の不倫がきっかけで両親離婚するも、捏造DVとかで親権は母方に
→元義兄嫁、不倫相手にかまけて養育費で贅沢三昧。甥はネグレクトされて死に掛ける
→義兄(再婚してマスオさん状態)に引き取られるも、再婚相手や連れ子から窃盗とかの冤罪かけられて追い出される
→叔父家(旦那、私、娘)に引き取られる

旦那は私に頭下げて、私の負担にも気を使ってくれたし、私も子沢山家族の長女なので「まあ、人生そういうこともある」くらいだったけど、
うちに来た頃(8歳)の甥は、もうボロボロだった
DQNガキどころか礼儀正しいんだけど、「生まれてきてごめんなさい」を地でいくというか、
常に旦那と私を気にして怯えるみたいに部屋の隅にいた
優しい子だから学校では少しは友達も出来たみたいだけど、
やっぱり遠慮ばっかりしているみたいで、
私と旦那に優しくされたり何か買ってもらっても「迷惑(負担)かけてごめんなさい」って感じでとにかく周囲に気を使っていたけど、意外なところで救いの手が

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308: 名無しさん@おーぷん 2015/12/23(水)11:46:29 ID:HWJ
懺悔として書き込む
普通の人生を歩んできたと思っていた
普通の家に生まれて普通の学校に通って、普通に腰かけ就職して普通に結婚して、普通に子供を産んで、普通の専業主婦として生きてきたと思ってた
娘が高校を卒業して自立するまでは

A4の印刷用紙に書かれた殴り書きの手紙は要約するとこんな内容だった。
・電車の中でキーホルダーを落としただけで怒鳴られた
・「頂きます」を「もらいます」と言っただけで叩かれた
・自分のお小遣いでお菓子を買っただけで「甘いものは身体に悪い」と言われて捨てられた
・兄弟の中で私だけ家事を言い付けられていた
・お祭りで私は浴衣を着せてもらえなかったのに弟は着せてもらってた
・私は門限を過ぎたら締め出されたのに弟は小言を言われるだけだった
・私は50番以内に入らないと叱られてゲームや携帯を没収されたのに弟は120番前後でも怒られなかった
・でもきっとお母さんは私と弟の待遇の差を訴えても理解してくれない

どうやら夫がアパートの保証人になって敷金やその他諸々の費用も払ったようで、就職して自立した娘はあれから一度も家に帰ってきてない
当時は、私に黙ってこそこそと動いていた夫に文句を言いたかった。でも娘に見限られた上に夫にも嫌われたら私の心がどうなってしまうかわからなかったから何も言えなかった
それでも夫は優しかった。最後まで私に今までと変わらないように接してくれた。
夫は早世してしまったけど、残してくれた貯金のおかげで息子の大学の学費や私の今後の生活で困ることはなかった
夫の遺品から娘の住所を知って夫の死を手紙で伝えたけど「来なくてもいいと言われている」と返事されて、結局娘が夫の葬式に来ることはなかった

これからの人生は息子夫婦を生き甲斐にして生きていこうと思っていた

孫が生まれてから息子は一度も帰郷していない
「話を聞く限り、貴方は少し不器用な人に思えます。しかも意固地です。一人の人生を台無しにするぐらいの失敗をしないと反省しません。だから最初の子供、長女である娘さんは苦しんだ。貴方にとって最初の孫であるこの子を、貴方の孫との接し方の教材にしたくない」
実際はもっとかなり遠回しで穏やかな表現だったけど、大体こんなことを息子の選んだ女性にメールで言われた。

自分はこのまま一人で死んでいくんだろうと思う
家で倒れても誰も救急車を呼んでくれない。体調が悪くなって苦しんでも誰も助けてくれない。それが怖くてたまらない。何の処置もされずに力尽きるまで苦しみながら死ぬのが怖くてたまらない。死んでも誰にも見つけてもらえないのも怖い
ドロドロに溶けて異臭を放って発見されるのが凄く惨めで怖い。腐って見つかるならいっそもっと時間がたって白骨化してから見つけてほしい。それでも早く見つけてほしい。
すごくさみしい

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347: 名無しさん@おーぷん 2015/09/16(水)07:54:55 ID:xdf
双子の姉がひき逃げされてから人生が滅茶苦茶になりました。
私は妹の方。一卵性だからよく知っている人間でもない限り見分けがつかなかった。
高校に入ってすぐ姉が部活帰りにひき逃げされた。普段は自転車通学をしていた姉だが、その日は雨の日で親が車で迎えに来るのを校門から少し離れた場所で待っていた。
幸い発見が早く命は助かったけど、入院生活が続いた姉は留年した。犯人は捕まらなかった。
双子だから当然同じ学年だったけど、私が二年に進級したころ姉は不登校になった。部屋に閉じこもったまま泣きわめいて部屋を荒し八つ当たりするようになった。その時罵倒の対象になるのが決まって二年に進級した私で、自分だけ二年に進級したことが申し訳なかった。
母や兄に妹子も留年してやればよかったと言われたことも私のなかでは修羅場。
結局姉は中退。一日中部屋に閉じこもって過ごしていた。
このころから姉はリストカットを繰り返すようになった。最初は私も心配したが、次第にそれが姉のかわいそうな自分を演出するためのパフォーマンスだと気づいた。
三年になって、私は大学進学を希望していたけれど相変わらず引きこもりの姉が私の進学を快く思うはずもなく、ひき逃げに遭って以来姉を溺愛するようになった母と二人がかりで家庭内イジメが始まった。
食事に洗剤混ぜられたり、腐った物を弁当に詰められたり。私の部屋やクローゼットにわざと生ゴミを置いたりしてくれたおかげで私や衣服には腐ったにおいが染み付いた。
そんな部屋で過ごしているので、自分のにおいがイヤで毎日早朝に家を出ては銭湯に行ってから学校に通うようになったけれど、それでも制服についたにおいがとれなくて学校でもイジメを受けるようになった。
受験を控え、連日課外授業を受けていた私に17時門限を強いて、守れるわけもなく連日門限破りの罰と称して体罰をされた。
ストレスで夏休みに入る前には元は50kg台の体重が35kgになっていた。頭にハゲがいくつもできた。
父は仕事仕事で家におらず、電話をしても「忙しい」の一言で切られる。兄は無関心。救いはどこからもなかった。
何もかも嫌になって、姉が何度目になるかわからないなんちゃってリストカットをした日、私は腐ったにおいが充満する自分の部屋で本気リストカットをした。
普通の女の子の握力では手首を切っても大した出血にならないらしい。実際姉のリストカットは薄皮を切る程度ですぐに後も消える。
ただ、私は姉が事故に遭ってすぐに辞めさせられたが、バレー部だったので握力が男の子並みにあった。バスケットボールを片手でつかんで振り回すくらいのことは簡単にできた。
私は見事に動脈をぶった切ったらしい。発見したのが元医療従事者の祖父母でなければたぶん本懐を遂げただろう。神経をやったらしく、私の右手は今でも動かない。(左利きです)
母方の祖父母は遠方に住んでいて、その日は偶々姉を心配して夫婦で訪ねて来ていた。家の中で孤立していた私は知らなかったが。
もっとも私は168cmあるので、35kgはいつ死んでもおかしくないレベルだ。今思えばリストカットをしていなくてもそう遠くないうちに倒れていただろう。
祖父母が私を救急車で病院に運んだ。病室で意識が戻った時、もう何もかもがどうでもよかったので私は何一つ反応らしい反応をしなかった。
精神病院に放り込まれた。正直そのころのことは曖昧でよく覚えていない。覚えていることといえば、ああ平和だな~ってぼんやり思ったことと、面会日に祖父母が来てくれたことだ。
頭がはっきりしたのはそれから随分経ってからだ。医師の適切な治療もあって、35kgまで落ち込んだ私の体重が40kg台になった頃だと思う。
祖父母が面会に来てくれた日に当然ばああああっと、姉がひき逃げされた日から手首を切るまでの日々が頭に浮かんだ。泣き叫んで暴れた。
祖父母は私が家でどういう立場にいたのか知っていた。そのときは知らなかったが、私の戸籍は実家からすでに抜かれ祖父母の養子になっていた。祖父母は母と絶縁し、行き場のない私を拾い上げてくれていたのだ。

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