鬼嫁日記〜2ch生活まとめ〜

カテゴリ: 実親が嫌い

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kinou
295: 名無しさん@おーぷん 2017/11/07(火)10:35:30 ID:yjs
子供のころから自分の家族は少し他と違うと思っていたけど、たぶん「機能不全家族」だったんだと今にして思う。

父は一応会社員だったけど、飲む打つ買うで給料すっからかんなんかざら
母はいつもお金で苦労していた

子供のころは母が可哀そうと思っていたけど、実際は違ったんだ。

父の放蕩は結婚前から分かっていたらしいし、結婚してすぐに母の結婚前の貯金を使いこんだり色々やらかしていた。
昔でもあまりにひどい場合、仲人や両親に相談するという手は残されているし、仲人や両親がストッパーとして働くのだけど、母は肝心のことを両親に相談しない。
「お金がない」とはいっても「なぜお金がないのか」を伝えない。だから祖父母も両親ともに金遣いが荒いんだと思ってた節がある

さらに夫となる人と話合うこともない。

子供である自分たちがある程度大きくなったら「お父さんには困ったものだ」と愚痴は垂れ流すけど何も動こうとはしない。もっというとある種のナマケモノか、ちょっと足りない人だったと思う。
実母に対してそういうことを書くと叩かれるだろうけど、自分が何か動くとか、何かやるとか、責任を引き受けることを極端に嫌ってた。私たちが大きくなると家事は子供にやらせてゴロゴロしているだけだった。
父がある種の引っ越し魔で何度も勝手に引っ越すのだけど、引っ越しって結構大きなイベントじゃない?まして子供もいると。
それなのに、「お父さんが引っ越すっていうから」と唯々諾々としたがう。
引っ越しお金が無いのに無理に引っ越すから食費とかを切り詰める羽目になったり。
引っ越し先の物件すら父親任せで自分が見に行くとか探すこともない。

父も自分はさんざん親から色々してもらっているのに、子供には何もしてやらない、勿体ないっていうようなおかしな人だった。

今も覚えているんだけど、学校行事で早朝に集まる必要があるときに、大体の家は親が車で送るんだけど、私の父は「なんで親が子供のために働くんだ」ってバカにしていた。

まだまだ思い出すと色々あるんだけど、ほんとうに家庭として全く機能していなかった

ちなみに父親は悪名高いQ州出身で、親族もそっちの人が多いのだけど、親族の家庭は普通。
あるとき、父はパチか麻雀か馬か何かで盛り上がり、重要な冠婚葬祭に大幅に遅刻してしまった。その時私たちは親戚の家に泊まってて、子供が眠ってから、大人が集まって父に対し説教していたらしい。怒鳴り声で目が覚めた。
父方の伯父が私の父に向って「九州男児というのは嫁と子供をしっかり養ってこその九州男児だ、お前はただの放蕩三昧で恥さらしだ」と怒鳴って叱りつけていたことをうっすら覚えている。

父も母も破れ鍋に綴蓋だったんだろうな。

話し合いもまともにできない人がまともな家庭は作れないよなーと今にして思う。今はほぼ絶縁している。

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207: 名無しさん@おーぷん 2017/11/05(日)09:17:33 ID:dGR
父親の頭が沸いてるとしか思えない。

この間母、祖母、父と私の4人で車で出かけたんだけど、
高速で死ぬほど飛ばす。120kmくらい。
母も祖母も怖いと伝えると怒る。
「これぐらい普通だろ周り何も見てないくせに」
とか言う。運転中に怒らせると命に関わるので、
帰ってきてから冷静に話そうとするとまたキレる。

「110kmで俺は我慢してる、おまえらも怖いのくらい我慢しろ」
じゃねぇよハゲ。一人でやってろ。
怖いもんは怖いし嫌なもんは嫌に決まってるだろ。
自分だってブロッコリーが夕食に出てきたら怒鳴るくせに。

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australia
897: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)20:03:58 ID:QHT
ニートの糞姉が俺の車で飲酒運転して、親の農場に突っ込んで地獄へ行った。
遺品整理してたら、糞昔に書いたお花畑な遺書が出てきて

俺は次の土日、オーストラリアに糞姉の遺骨をまきに行く事になった。

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118003
83: 名無しさん@おーぷん 2015/12/08(火)17:24:42 ID:82L
高3の正月。
朝リビングで妹二人が切っただけの伊達巻だけをお皿に盛り付けもそもそ食べてた。
私も伊達巻をいただきウマーして小さな幸せを感じて、炬燵にテレビで極楽。
少ししてから父が入ってきてからのちょっと話がある。

「お父さんとお母さん離婚するから」

( ゜д゜) ( ゜д゜)( ゜д゜)ホ゜カーン

その瞬間私のみ「いやあぁぁぁ…」とドラマのように泣き崩れ、それ見て妹( ゜д゜)ホ゜カーン
なんとなく危ないかもという感じはあったけど、どうして正月に言ったの?お父さん。
今までの修羅場の中ではこれが一番。

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588

226: ◆8B8X/67LrWes 2014/06/20(金)22:15:08 ID:3rxPDZKWG
自分の人生が結構な修羅場。
長いです。

幼児期の私は所謂放置子だった。
三歳で近所の公園に一人で遊びに行ってた記憶がある。
小学生になり、一時友達は出来たが段々と虐められるようになる。
小さい頃には虐められる原因が解らなかった。
大人になって幼少期の自分を振り返ると、距離感が掴めてないKY児童だったと判明した。
虐めに暴力は無かったが地味に精神を削られ続け、立派なコミュ障に成り下がる。
そんなもんで仕事もルーティンワークな仕事にしか着けず、中卒で就職し底辺な暮らしをしていた。
成人した翌月、母親から保険証持って着いてこいと凄まれる。
借金の申し込みと解った私は「毎月給料の半額家に入れてるのに何でそんなお金ないん?いくら親子でもお金の事に関しては譲れない。」と頑なに断る。
結果「親が困ってる時に助けない子供は要らん」と家から追い出される。
半月は仕事を通じて巡り会った数少ない友達のお宅にお世話になりながら住み込みの仕事を探す。
地域を選ばず何処でも飛べる派遣社員になった。
居住が西日本から東日本に移った。
居候させてくれた友達には暫く働いてお金を貯めたのちに改めてお礼と言う名目で回ってないお寿司屋さんでご馳走をした。

派遣になってからは無我夢中に働いた。
コミュ障があるので自分を表現するのは下手だったが、幸いな事に仕事仲間には恵まれていた。
そこで知り合った同僚から、趣味のゲームに誘われた。
所謂オンラインゲームと言う奴。
あまりゲームに触れた事がなかった私でも、同僚のリードがあり溶け込んでいけた。
自分を反映させたそのキャラクターには支援系の職業をやらせてスキル回しやらを必死に覚えた。
ゲームの世界で、誰かから必要とされる気持ちを貰ってPC前で一人で泣く事もあった。
そんな世界で知り合った人達と飲み会をする機会があった。
自分が参加して良いのか解らなかったから黙っていたけど「貴女も参加するよね?ってかおいでよ!」と言われて嬉しくて参加表明した。
そこで色んな年代の人達とワイワイ楽しく飲みながら、少しずつ自分らしさを見つけて行った。

ある日、その世界の一人の男性から告白をされた。
飲み会であった時から気になっていたと言われた。
告白されるのも始めてで返事に困っていると「急がなくていいよ。」と言われ、暫く返事を保留にしていた。

少しずつ距離を狭めていって、正式にお付き合い開始。

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