鬼嫁日記〜2ch生活まとめ〜

カテゴリ: 実親が嫌い

 (4コメント)

lgi01a201408020200

781: 名無しさん@おーぷん 2014/10/25(土)20:24:30 ID:EhG8vul9q
母親に放置され衰弱していく弟を病院に連れていったときが修羅場だった

当時私は5歳、弟は2歳だった。
私の父の顔は知らないが、弟の父の顔は覚えてる。弟が生まれてすぐいなくなった。この時点で母は×2
母は3日に一度帰ってくるだけ。帰ってきた日に大量に米炊いて皿に盛ってまた出かけていく。
私は5歳だったけど幼稚園や保育園に行ってなかった。
入園式には出た記憶はあるような無いような。すごくあやふやになってしまっている。
私は大量に炊かれた米を食べ飢えをしのぎ、弟にもそれを与えてた。わたしがスプーンですくって口の中に入れる感じ。
弟は上手に咀嚼できなくてむせたりしてた。

この記事の続きを読む >

 (0コメント)

images

753: 名無しさん@おーぷん 2014/10/22(水)12:59:40 ID:kLZkQKUmk
私の旦那の両親が凄まじくクズだった。
旦那は生まれてすぐ育児放棄された。
望まれずに生まれた子で、まだ目を開いていない状態で捨てられた。
見かねた旦那父の友人が養子として引き取り愛情込めて育てたんだと。
旦那のどちらかの祖父母が引き取らなかったのかなと思ったが、生きているのか死んでいるのかもわからない。
今回の修羅場には一切関わってこなかったからいないんだと思う。
だから私の姑さん舅さんは旦那父の友人夫婦。この人達は本当に良い人たちです。

旦那が数年前に車にはねられて入院した事があった。
ほんの少しの間だが、記憶が飛んで私の事も義両親(旦那父友人夫婦)の事もあやふやに。
そんなときに凸してきたのが旦那の実両親だった。

もう凄かったわ。旦那がかなり稼いでる事を知っていて、こちらに援助すべきとか、嫁(私)は介護するために看護師の資格を取れとか騒ぎまくってた。
義両親が子供を捨てたくせに何を馬鹿な事を!とブチギレたが、実両親はのうのうと
「あんたを育てたのは私達。こいつらは(義両親)記憶の無いあんたを騙して集ろうとしている」と言ってのけた。
騙して集ろうとしてるのはあんたらだろ!!と思わず怒鳴っちゃった。
すると実両親が、「私達がしっかり育てていれば、こんな野蛮で守銭奴な女にひっかかる事はなかった」ですって。

この記事の続きを読む >

 (0コメント)

53_m-300x225
515: 名無しさん@おーぷん 2014/11/17(月)14:00:47 ID:jBOc5khrB
叩かれ覚悟で書くけど、私が「不細工じゃなかったこと」が衝撃。

うちの母は毒気味で、よく私の容姿をバカにした。
キツい暴言を吐くわけじゃないけど、「私子は子豚みたいな体系なんだから」とか、
「(身体検査で身長が伸びたことについて)足が伸びたんじゃなくて胴が伸びたんだよね」とか。
顔については「顎が無さすぎておかしな顔」とか「覇気がない」とか「魚が死んだような目してる」とか

この記事の続きを読む >

 (5コメント)

shutterstock_116386780
123: 1/2 2013/11/19(火) 09:57:46.29 ID:/NUXfpPo
うちの母親はタクシードライバーをしている。
というのも両親が離婚して、当時小学生&中学生だった私と姉を育てるため。
朝6時に家を出て翌朝6時に帰ってきて、その日は一日殆ど寝て、次の日また出勤。
とても大変な仕事だと思う。
だから私も一所懸命勉強しいい大学にいっていい会社にいって母を支えようと頑張った。
けれど大学院に進学したら「頑張りすぎ」で鬱になってしまい、ここ数ヶ月は自宅療養。
一人暮らししていた家を引き上げて実家に帰ったが、とても居たくない。
居たくない。実家に居たくない。実家を離れたい。
なんでこんな風に考えるんだろう?と時間をかけて考えてみたら、
「ああお母さんが私を独りにしたからだ」と気付いた。

母は、この十年間程で三人の男の人と付き合った。
再婚するかも~♪と連れてきたことがあるひとが三人というだけでもっといるかもしれない。
そして彼氏のできるたびに、弁当を作って届けたりデートだ旅行だと家を空けていた。
中学生のとき、風邪をひいているのに彼氏を優先されたこともあった。
中・高のお昼はコンビニだった。
夕飯は学校に行っている間に作られたものを独りで食べていた。
小学生のころから姉はバイト、母はデートで私は家に独りが殆どだった。

この記事の続きを読む >

 (4コメント)

06

97: 名無しさん@おーぷん 2015/07/22(水)17:52:37 ID:D7m
実の母親がフェミ思想の行き過ぎで、キチの領域に突入してる人だった。
自分の中だけで実践していればいいのに、娘である私に押し付けていた。
女児向けアニメや絵本は視聴禁止、女児向けおもちゃは購入禁止。
男児向けなら良いかと言うとそういう訳でも無く、
とにかく母の目に「性差別がある」と映ったものは何でも禁止だった。
服は地味な色合いのユニセックスな物ばかり。スカートを買ってもらったことは一度もない。
髪型もショートからボブを強要。肩から下に伸ばすことは認められなかった。

私は、女の子らしいものが欲しくて仕方なかった。
周りの子みたいに、着せ替え人形やキラキラしたコンパクトで遊びたかった。
ヒラヒラしたスカートやピンクの服を着て、伸ばした髪にアクセサリーを飾りたかった。
幼稚園も小学校も私服通学だったから、否が応にも周りとの差は目についた。

中学受験をして、合格した学校は制服がある学校だった。
初めてスカートが履ける、気恥ずかしいような嬉しいようなくすぐったい気分で、制服が出来上がるのを待っていた。
届いた制服は、スカートでなくキュロットだった。
愕然とする私の前で、母は
「この学校はちゃんとしている。女子の制服をスカートに限定せず、こういう物も用意してある」
と満足気にしていた。
エスカレーター式の学校だったので、そのまま高校に進学。
高校の制服もキュロット。学校で私一人だけ。

大学生になって、バイトを始めた。
始めて貰ったバイト代で、スカートを買った。
今でも覚えている。小花柄で、ドレープを効かせた、膝上丈のスカート。
買って一か月もしないうちに、母に破り捨てられた。
「なんて浮付いた、非生産的な服」
「こんなものを履く女がいるから、いつまで経っても女は弱いままにされている」
「こんな馬鹿らしいものを買うためにバイトを許可したわけじゃない」
得意気に、憎々し気に喋る母に掴みかかった。そして、母を殴った。
「返して」と叫びながら、何度も、何度も。

その後、母は私に何かを強要することは無くなった。
スカートを履き、レースやフリルを身にまとい、メイクをし、髪を伸ばす私に
何か言いたそうな素振りを見せることはあったけど、
私が身じろぎをすると、慌てて口をつぐんだ。また殴られると思ったんだろう。
そのまま、ほとんど母と会話することなく就職し卒業した。
卒業と同時に家を出て、一度も帰っていないし母の声も聞いていない。

この記事の続きを読む >